箕輪剋彦先生

Minowa3

箕輪剋彦先生(1939-2003年 74才没)

1929年(昭和4年)鹿児島県奄美大島名瀬に生れる 10代の頃は、満州(現在の中国東北部)の鉄道会社で働き、日本の敗戦後、奄美に帰るが奄美では、アメリカ軍の占領下にあり、仕事が無かった為、1952年、23才の時に沖縄へ渡る。 沖縄では、自動車関係の仕事をしていました。

それまで、武道の経験は全くありませんでしたが、ある日、職場の友達と一緒に、上地完英先生の道場を見学に行ってから、上地流空手の魅力に魅せられ、空手修行を始める。

Taira Minowaまた、上地流空手道 松川修武館 館長の時、琉球古武道に興味を持ち、平信賢先生の道場に入門し、その下で子武道の習得にはげむ。

平先生より、師範免許を直伝された、門下生6人(赤嶺栄亮先生・仲宗根宏信先生・仲本政博先生・金城一史先生・箕輪剋彦先生・永石不三男先生/入門順)の一人となる

1967年(昭和42年)…上地完英先生より師範免状を允許される

1969年(昭和44年)…平信賢先生より師範免除を允許される

1977年(昭和52年)…奄美に帰島し奄美修武館(上地流空手・琉球古武道保存振興会 九州地区本部)を開く

1995年(平成7年)、諸事情により琉球古武道保存振興会より独立し、「琉球古武道振興会」「沖縄上地流空手道 真修会」を創設する

1995年(平成7年)…喜舎場朝義先生より琉球古武道 範士9段を允許される

1996年(平成8年)…当山清幸先生より上地流空手道 範士9段を允許される

2003年(平成15年)1月…鹿児島県名瀬市の自宅で練習中に亡くなられる(享年74才)